なん天について
弊店は2007年、神戸元町の山手側、兵庫県庁のすぐ隣で開業いたしました。
とにかく安くて、気楽な店で、というスタートでしたので、
メニューはありきたりの居酒屋の定番モノばかり。
今でこそ、「地のモン」がウリの店ですが、
実をいうと、食材に関し、開業当初は「地産地消」をほとんど意識していませんでした。
一方、お酒はと言うと、ビールと当時ブームだった焼酎をメインに据えたので、
日本酒はサブとして4,5本おく程度でしたが、ただ産地はすべて兵庫県のものを選びました。
というのも、神戸はご存知の通り日本酒の一大産地ですし、播磨・丹波あたりの
銘柄も幾つかあわせて取り扱い、それとなく「兵庫県愛」をアピールしておけば、
噂を聞きつけたお隣の県職員さんがもしかしたらこぞって来てくれるかも、という
安易な私のソロバン勘定から発した案でした。
そうした思惑は見事不発に終わり、寂しいスタートとなりましたが、
「地酒」へのこだわりは変わらず維持し続けました。
開業当初は、ただ単に酒販店のお薦めというだけで取り扱っていた日本酒の銘柄でしたが、
せっかくだからといくつか酒蔵見学に行くと、
やはり商品の見方がそれまでと全然ことなって来ることに気づきました。
作り手の思い、蔵のただずまいを知ると、お客様へ薦める言葉のリアリティが
グッと増します。例えば明石にある太陽酒造さんの「赤石」を薦める際には、
ノーアポで押し掛けた初対面の我々夫婦に、経営難をくぐり抜けてきた苦労話、内部事情を、
そんなことまでバラシていいのかと、こちらが気を揉むほど細かに語ってくださった
社長のざっくばらんなお人柄を、
淡路の「都美人」なら、全国的にも珍しい木造酒槽に天秤しぼり用の巨木、そして重しになる巨石の
古めかしい装置に圧倒されたことを思い浮かべ、時にセールストークに織り交ぜます。
現場体験により初めて、味やスペックでは語り切れない、いわば「物語」を伝えられるようになる
と思うのです。
こうして酒蔵見学が楽しくなり、どんなに遠くても県内に収まることも手伝い、
せっせといろんな酒蔵を訪ねていくうちに、取り扱う銘柄はだんだんと増え、
今では常時30銘柄ほどを取り揃えるにいたりました。
弊店の「地産地消」はこうして地酒先行で始まったわけですが、
ほどなく明石の昼網をウリにされている魚屋さんに出会い、
その鮮度と魚種の豊富さに驚き、それまで扱ってきたいつでもどこでも食べられる
養殖の魚よりこっちの方が断然面白そうだなと直感し、
地魚(兵庫県産、ほとんど明石・神戸・淡路・播磨灘)限定に方向転換しました。
さて地魚・天然魚の魅力とは何でしょう。
私は何といっても「季節感」を感じられること。これが一番の魅力だと思います。
神戸近海は全国的に見れば広大とは言えない漁場ですが、
四季を味わうに余りある魚種のバリエーションを供給してくれます。
いかなご漁が春を告げ、漁が終わるとあぶらめ、桜鯛が店頭をにぎわせ、
夏にはさば、はまち、あじ等の青物や鱧、たこが、
そして秋には脂ののった鰆や太刀魚、冬はハゲ、ひらめ、かき、なまこ等。
明石浦漁協によれば、当漁協だけで年間およそ100種類もの魚が水揚げされるそうです。
日々、魚をさばく包丁を通じ、地の四季のサイクルにシンクロする。
料理人にとって、養殖の魚では味わえない、地魚ならでは醍醐味だと思うのです。
そして野菜です。
近頃、神戸でも直売所スタイルの八百屋さんが続々登場し人気を博しています。
ご存知の通り、そこでは商品毎に生産者・生産地が細かに記され、安心・安全をアピールしています。
そうしたお店の登場に助けられ、野菜も地元モンだけでやっていこうと、
決心したのは、酒と魚で手応えを感じ始めていただけに、自然な流れでした。
さて地野菜だけを扱うようになって考えさせられるのが、「旬」についてです。
例えば枝豆。
枝豆といえば、ビールのお供の筆頭格ということで夏が盛りのイメージですが、
近頃では晩春には台湾あたりから輸入された枝豆が店頭に並びます。
そして九州に始まり、産地を北上させながら、秋口まで全国的に
流通が長く続くわけですが、これはあくまで生鮮ものの話。
冷凍ものも含めれば、今や一年中誰でもどこでもアノ味が楽しめます。
一方、兵庫県に限定すれば、全国的に有名な丹波黒枝豆の解禁日は例年10月頭で、収穫期は
だいたいひと月。近頃、店頭に見かけるようになった早生品種でもせいぜい7~8月で
その他地域、他品種(白豆、茶豆)を含めても、地域を限定せず全国から調達する場合と比べれば、
食べられる期間はずっと遅く、短くなります。
品種改良や栽培・保存技術の革新、流通網の整備等々により、
枝豆に限らず、多くの野菜がいつでも好きな時期、一年を通じて食べられる時代になりました。
「旬」が失われつつあるこうした状況は、農業とて逃れえない合理主義経済の必然的に
帰着するところと、ある意味言えそうですが、
かつて各地で固有に育まれてきた野菜の歳時記とでもいうべき季節のサイクルが、
今や全国的に画一化され、時季を画すシンボル的機能を失った野菜は、
地域の中で従来持っていた歴史的文化的価値をも失い
足ることを知らない胃袋の欲求を満たすだけの単なる「タベモノ」に成り果てつつあるように感じます。
「兵庫県では枝豆の旬と言えば、秋ですよ。」
実のところ、私はこれでいいのではないかと思っています。
以上のように、弊店では、おしながきの「地産地消化」を段階的に進めてきました。
そして現在、メインとなる食材はほぼ全て、日本酒は完全に兵庫県産で賄うに至りました。
加えて、料理を提供する際に使う「器」も多くが地元産であることを、この機会にご案内しておきたく思います。
兵庫の焼き物と言えば、何といってもまず「丹波焼」の名が挙げられます。
その歴史は古く、始まりは平安後期で、いわゆる「六古窯」のひとつとしても広く知られています。
弊店の開業時、主に取り揃えたのも、この「丹波焼」でした。
一口に丹波焼といえどもいろんな作風の様々な窯元がありますが、
弊店がその作風とお人柄に惚れ込み、お世話になったのは、「信水窯」という窯元さんです。
その作風は素朴でありながら、都会的な上品さ・ストイックさがあり、
釉薬もわざとらしくなく落ち着いた色調なところが
大変気に入り、開業時は使用する器の8割方をお願いし、
その後幾たびか、土モノの追加の入り用の際は、必ず「信水窯」さんに相談しました。
こうして開業からずっとこの窯元さんの器を愛用していましたところ、
たしか3年ほど前だったでしょうか、当の窯のご主人と奥様が、
弊店へお食事に見えまして、コース料理をご注文くださいました。
前菜からデザートまで、当然のごとく「信水窯」の器に載せておだししましたところ、
ご主人が
「最初から最後までやと、ちょっと重たいなあ」
というようなニュアンスのことをおっしゃりました。
私が真意を尋ねると、
「土モンばかりじゃなく、白い磁器やガラスの器なんかも間に挟んで使ったほうが、
メリハリが効いてええのちゃうやろか」
とのことでした。
当の陶器(土モノ)の窯元ご自身からの意外な指摘でした。
確かに、「信水窯」さんの様々な器の中でも、私が特に好んだのは土味が強く、
茶色系で実際手に取って重たいものが多かったのですが、その作風と使い勝手に
何の不満もなかったので、貴重なアドバイスをさほど気にも留めず、
その後も比較的暗く、重い土モノを多用し続けました。
それからしばらく経ち、昨年開業10周年を期に、メニューを見直そうということになり、
どうせなら合わせて器も少しトーンを変えて見ようと思いたちました。
そのきっかけとなったのはその時なんとなく思い出した「信水窯」のご主人の先の言葉で、
以後「土モノ以外の器も試してみたい」との思いがふつふつと湧いてきました。
長らく、土モノ(丹波焼)しか使わなかったのは、もう一つ理由がありました。
それは、私の知る限り使えそうな「磁器」が兵庫県内の窯では現在焼かれていないということです。
県内には、皿そばで有名な出石が磁器生産地として古くから知られていますが、現在のところ
我々のような料理店向けの製品は作ってらっしゃらないということで、
やはり、有田焼など県外の量産品に頼る他ないかとあきらめかけていました。
ところが、よくよく調べてみると、「出石焼」は過去、家庭向けの雑器等いろいろ
生産され、今でもその一部が骨董品扱いで、市場に出回っていることが判明しました。
こうして古い出石焼を求め、骨董屋さん、骨董市に通い始めましたところ、
ほどなく、さらなる出会い・発見がありました。
高砂の生石(おおしこ)体育センターという所で、月一回催される骨董市で、
兵庫県産の骨董を多数出品されている美術商の方に偶然、出会ったのです。
その売り場には、「東山焼」「林田焼」「朝霧焼」「三田焼」「珉平焼」などと記された
見たことも聞いたこともない焼き物が並べられ、
それらが皆、かつて兵庫県内の各所にて焼かれたものだと教わりました。
私が、自己紹介し、居酒屋の店主で、「地産地消」の店なので、器も兵庫県産を探している旨、
伝えたところ、兵庫県の古陶磁に関するご主人自ら編集された資料を取り出し、売り場の商品を
手に取りながら、資料の該当ページを指さし、ひとつひとつ丁寧に解説してくださったのです。
その資料をお借りし、拝見すると、兵庫県各地の地名を冠した窯がたくさん記され、
その数は100を超えるとされています。
中には、「須磨焼」「舞子焼」「湊川焼」「有馬焼」なども含まれ、
馴染み深い地元神戸の各地に窯が築かれていたことが記されてましたが、
そのような話は生まれてこのかたまったく聞いたことがなかったので、
にわかに信じがたい思いでした。
さらに、資料に添えられた古陶磁の写真の数々は、
「染付」あり、「青磁」あり、「色絵」ありで(当時、このような専門用語は当然知りませんでしたが)
器型、色調とも実に多種多彩なことは、素人の目にも明らかでした。
その日は、古い出石焼を求めあまり期待もせずに出かけた小さな市で、思いもかけない収穫を得、
目の前に新たな世界がパッと開けたようでした。
内心雀躍せずにはおれない心地で、慶野松原が薄彫りされた「珉平焼」の薄緑色の
8寸皿数枚と、いただいた資料を抱え、その日は市を後にしました。
こんなにもバリエーション豊かな焼き物が、わが県でかつて焼かれていたという
歴史的事実を初めて知り、驚き、感動したあの日のことは今でも忘れえません。
こうして新たな器探しが、骨董蒐集という予想外の形に展開することになり早、一年。
わずかずつですが、古い器たちも増えてきました。
お料理とともに、あわせてお楽しみいただけたら大変うれしく存じます。
最後に、創業10周年(正確には11周年ですが)を機に行ったこの度の改装工事に際し
新たに試みた「地産地消」の取り組みについて簡単にご案内しておきたく存じます。
ひとつは県産建材(杉材)を部分的に使用したこと。(個室のベンチシート、
ルーバー材、鴨居)
もう一つは、「地産地消」と言っていいのか微妙ですが、
惜しまれつつも2005年に廃業された、名料亭「はり半」さん(西宮甲陽園)が残された建具を
一部使用したことです。入口左側に新設しました個室の扉2枚(御簾戸)と透かし彫りの
施された欄間(2枚)がそれに当たります。
最後にもう一点。地元のつながりという点で、申し上げておきたいのは、
昭和の建造時の形を現在も完全に残す貴重な数寄屋造りとして国の登録文化財に指定され、
舞子公園内に保存されている「旧木下家住宅」の見所のひとつである
「釣り欄間」を参考に、同様な建具をファサード上部に導入させていただいたことです。
私が見学に伺った際、解説してくださった学芸員さんによれば、
それは神戸の数寄屋建築に固有のもので、京都あたりでは見かけない意匠だとのことです。
これまで長々と述べさせていただきました通り、
弊店は「地産地消」、この一点だけにこだわり営業してまいりました。
正直、これまでその営業方針に不安を覚えた時期もありました。
一般的な居酒屋とは程遠い、かなり異質で偏ったおしながきのせいです。
例えば地魚にこだわると、お造りを盛り合わせる際、
マグロやサーモン等、華になるネタがないので、
白身一色の視覚的に地味で、味的にも単調な出来になりがちです。
春なら鮎を使いたいところですが、よっぽどの幸運に恵まれ、揖保川あたりの
県内産が手に入れば別ですが、まずおしながきにのぼることはありません。
もちろん秋にサンマを焼くこともありません。
秋と言えば松茸もそうです。
輸入物に頼ればたやすいですが、
国内産、しかも県内産に限定するとそうそう簡単に手に入るものではありませんので、
「そういえば今年の秋は一回も松茸を使わなかったな」と後から振り返る年も珍しくありません。
お酒にしても、全国的トップブランド、例えば「獺祭」や「新政」などは置いてませんので、
メニューをご覧になってがっかりされるお客様はたくさんいらっしゃると思います。
あって当たり前のものが見当たらないメニュー。
逆に、聞いたこともないような魚や野菜や酒の名がずらりと並ぶメニュー。
普通の居酒屋を期待するお客様は、がっかりされるのは無理からぬところです。
一方でそんな意外さの中に、面白味を感じ、楽しんでいただけるお客様もいらっしゃいます。
「おいしさ」「安さ」だけでなく、その向こう側に、地域の「文化」「歴史」まで
共有できる、弊店にとってありがたく貴重な方々だと考えています。
そうしたお客様に支えていただき、10年あまり何とかやってこられました。
ここ数年は、ある意味押しつけがましい弊店の営業方針にも、ご理解くださるお客様の数も増え、
経営も安定して参りました。
おかげさまで、ここにきてようやく自らの歩んできた方向性に、
間違いはなかったと信じられるようになりました。
今後、食材の宝庫「兵庫県」の豊かな恵みを、県を代表する都市「神戸」の一居酒屋として
さらに一層深く多くのお客様方と分かち合えますよう精進して参る所存でございます。
2018.4月 店主:楠本 喜章